ADHDと診断されたときに自分が思ったことと恋人や両親の反応

おれはもうおなかすいた。

 

 

今日は、久しぶりにつけ麺を食べた。久しぶりに食べるつけ麺はなかなかうまい!ラーメンもつけ麺もおいしいところってあまりないんだけど、個人的に日本橋、東京駅近くにある「つじ田」はおすすめ!

 

 

お試しあれ。

めん徳 二代目 つじ田 日本橋八重洲店

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そういえばこの前、病院を受診した後のことも書くねって言って書けてなかったので、今回は受診後の心境変化などのお話を。

 

 

受診をしたことはおれにとっては正解だった

心の中の違和感がスッキリして安心したことが一番の正解

病院を受診したのは2年くらい前。当時はADHDだなんて思っておらず、突然の診断だったため、その場ではハァ?という感じだった。

 

 

振り返ってみると…周りと違うことに違和感を感じつつも「俺は俺だから」としてずっと生きてきた。だから、先生の話を聞くたびにADHDの特性と自分の個性とがとてもピッタリ当てはまって、なんだかある意味ホッとした。

 

 

もの忘れに関してもなんだけど、それよりも自分の個性に関して不思議に思ってた部分が多々あったので、その根本的な部分を知れてホッとしたのかもしれない。

 

 

もともとぼくは呑気であまり他人と違うことを気にしない。他人よりもスピード的に遅くても焦らないし、他人よりも出遅れていてもまぁ俺は俺だからとよく言っていた。

 

 

これは強がっているわけではなく、本当にそう思っているから周りの心配をよそに本人はまったく気にしていない。なのでまったく改善はされないんだよね。

 

 

他人と比べられることを極端に嫌い、「普通は」という言葉をとても嫌っていた。校則なんかもそう。「普通はこうなんだ!」という理由もないルールが嫌いだったし、そもそも毎日学校に行かなければいけないという義務教育がよくわからなかった。だからぼくは大いに抵抗した。

 

 

自分でもなんでこんなことを思ってしまうのか、こんな言葉を真正面から受け止めてしまうのかよくわからないでいたから、ADHDの話を聞いたときに妙に安心した気持ちがあった。

 

 

空気が読めない、冗談が通じないはADHDの特性という正解を見つけた

他人の気持ちよりも自分の正義の方が正しいと思えば、それを必ず通してしまう。だからこそ、ご幼少の頃はいじめられることもあった。でもぼくは自分の方が正しいと思えば屈しない。体格がよかったし、逆上してしまうと何でもしてしまう怖さがあったので、他人を傷つけてしまうこともあった。最低だが、どうしても抑えられない衝動があったのだ。

 

 

大人になってからはこの屈しない姿勢が原因で、組織の社長と人事異動の件で大いにもめて、組織の中で孤立してしまった。もともと組織で働くことが向いてないなーと思い、特にアウェーな環境だったため自分という存在感を消す!という自分なりの解決策を見出した組織。ただでさえアウェーな環境での追い打ちだったので、これは本当に精神的に参ってしまった。

 

 

冗談が通じないのは今も変わらないが、人が言っていることが冗談なのか本気なのかの区別もつかない。これは気持ちを汲めないことにも通じるのかなぁ。。こんなところもADHDではよくあることだと言われて、そうなのかぁ…と納得した。

 

 

二面性を持つ不可解な特性はADHDという診断で正解を見つけた

こんなぼくは学校では先生に嫌われ、同級生ともあまり良好な関係を築けていなかったように思う。でもぼくは小さい子どもがすごく好きだったり、他人が困っていたらなんとしてでも助けたいと行動したり、人が好きな一面もある。

 

 

人が嫌いで人が好き。

 

 

これはぼく自身、ずーっとよくわからない個性だった。だったというよりは今もそう。でもこんな個性的な特徴はADHDの特性なんじゃないかなと思えるようになった。だからずっと変だなぁ、なんでこんなに人と何かすることができないんだ?という疑問に答えを見つけられた。正解がADHDにあったのかと思えたことで長年のお荷物を降ろせた気がしたのだ。

 

 

おれにとっては正解でもADHDの診断は親にとっては不正解だった

発達障害という言葉の一人歩きが親には受け入れられない

ぼくの両親は医療従事者。最初、親にADHDの話をしたとき父はその存在を知らず、母は言葉を失っていた。ぼくの父もだいぶ変人で、300m先の場所を道案内するときもここから2mと素で言ったり、どちらかというとアウェーな場でテレビに向かって突然キレだしたりする。

 

 

ぼくからしたら、彼こそ何かしらのモノを持っている気がするのだが、説明しても彼は何一つ納得しない。母はといえば子供の頃、すごく育てにくかったことがすごい腑に落ちたと言いつつも、その表情や言葉の断片からADHDという診断を受け入れたくないことがものすごく伝わってきた。

 

 

医療従事者の方が一般人よりも精神的な病気を受け入れることは難しいように思う。でもそれ以上に自分の子供が発達障害と言われたら、やはりいろいろ考えてしまうのかもしれない。

 

 

自分のせいではないか?自分のせいとは思いたくない。自分もなのか?自分はそうではないと思いたい…いろいろな葛藤がそこにあるのだと思う。発達障害という言葉は一人歩きしていることもあり、自分の頭でちゃんと考えないと受け入れるのは難しいのかもしれないね。

 

 

でもやはり一番悲しかったのは、最終的に「あなたは頭も悪くないから、発達障害じゃないから大丈夫」と言われたことだ。動揺もあったのだろうが発達障害をちゃんと理解するのではなく、なかったことのようにしてしまう姿勢が悲しかった。

 

 

大切なのは発達障害かどうかではない。だとしたら、どうしていくのかだ。生きにくい部分があるなら、こうしていこう!今までの生きにく部分は、こうだったんだ!わっはっは!ぼくはこれでいいのだ。

 

 

あなたは違うから気にするなというのは思考停止でしかない。親子であるのに向き合ってくれていないように感じたのだ。

 

 

おれにとっての正解はパートナーにとっての正解

パートナーは自分を一番支えてくれた

パートナーは医療従事者ではない。もちろん発達障害ADHDなんてものは知らなかった。でもまず話を聞いてくれて、どんな病気なのかを調べて理解してくれようとした。ぼくはこうやって医療的な知識がないけれど理解しようとしていろいろ調べてくれたことがとても嬉しかった。

 

 

自分自身、ADHDの話をするのはちょっとためらう気持ちもあったがパートナーには何でも話してきていたので診断された日に打ち明けた。

 

 

それ以降も病院に付き添ってくれたり、書籍を購入して学ぼうとしてくれたり、一緒に生きにくさを解決するように同じ方向を向いて協力してくれたりと、どんなことでも協力してくれた。

 

 

パートナーのこの姿勢には感謝してもしきれないし、とても嬉しく思う。ADHDのダメな部分を仕方ないじゃん!みたいに逃げようとすることもあるぼくをストップさせてくれるのもパートナーだ。

 

 

ADHDのせいにするのは簡単だけれど、それでは生きていけない。上手に生きていくためにはADHDと仲良く生きていかなければならない。逃げてはダメで、どうしても改善できないこともあるけど、ベストは常に尽くしていかなければ生活は向上しない。

 

 

恐らく彼女はそんなことを思って、ぼくのためにお尻を叩いてくれているのだと思う。「優しさとは強さ」パートナーを見ていて感じるのは、彼女は本当の優しさを持っているんだなぁということだ。

 

 

パートナーのイイ部分を再確認できたことも診断を受けて正解に思う一つの要因だ。パートナーも診断を受けたことは正解だと言ってくれている。原因がわかったんだからいいじゃないかと淡々と話してくれたことが嬉しかった。親身になって話を聞いてくれ、生活面での改善策を一緒に考えてくれるパートナーの存在は大きい。

 

 

担当医の先生も理解してくれるパートナーがいることをとても喜んでくれているし、ADHDの特性と向き合っていく上で服薬以上に大切なことだとよく言ってくれている。

 

 

受診したことで変わるのは服薬と覚悟

受診をしてADHDとの診断を受けたところで特性や事実は変わらない。服薬を開始すること、診断を受けた結果が自分にとってプラスになるかがポイントだ。

 

 

武田双雲さんや勝間和代さんのように、ADHDだと思うけど診断は受けておらず普通に生活をしている人もたくさんいると思う。ぼくの場合は服薬で睡眠部分がかなり改善されたことや不注意が少しは減ったように感じること、過去の違和感がスッキリできたことなどプラスの方が大きい。

 

 

でも診断されることで心がつぶれてしまいそうな人や落ち込んでしまう人は診断を受けなくてもいいのかもしれない。ADHD発達障害という病気に含まれるけども、よく言われるように「脳の癖」だ。

 

 

「癖が強いんじゃ」……

 

 

とは千鳥にコントによく出てくるフレーズだが、このフレーズのように自分は脳の癖が強いんじゃ、それだけじゃと思って生きるのも一つの選択肢と思う。

 

 

一口にADHDといっても様々な特性があると思うけれど、全員が受診をすべき!とはいえないと思うんだよね。強いてぼくがこういう人は受診すると変わるよ!とおすすめできるのはADHDの素因があり睡眠部分の悩みがある人だ。

 

 

睡眠部分の悩みに関してはストラテラの服用で多くの患者さんが全く同じことを言うと担当医も言っていた。受診をする決断は自分で考えて決めるしかないが、睡眠で悩んでいる人には自分の経験からしても服薬をおすすめしたい。

 

 

病院を受診するか悩んでいる人は多いかもしれないけど、勝間和代さんや武田双雲さんなんかもググってみるとイイと思う。診断を受けずに日常生活を送る彼らは何かヒントになるかもしれない。

 

 

とまぁ今回もボリューム満点なブログになってしまった…もうおなかいっぱい。

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