年齢の0.8がけがADHDの年齢
おれはもうおなかすいた。
年齢はただの数字。遅いも早いも今、始めるのが一番早い。
これは僕が好きな言葉で僕が実生活でも心がけていることだ。
ADHDは精神年齢が一般的な人の0.8がけ、というのがよくあがってくるがこれはそのとおりだと思う。
端的に言えば未熟。未熟ゆえに衝動性や不注意が同年代の人たちに比べて目立つのかもしれない。
ただこの動画にもあるように、治るとまではいかないまでも改善はしていくもののように思う。
実経験として補足するならば、学ぶことで改善はするが、時として著しく失敗しないと学べないこともあるというところのように思う。
これらの言葉は最もだが、ADHDの当事者にはピンとこないことも多い。
普通に考えたらわかることに、不注意(異なる考え)が加わると、もしかしたら違うかもしれないが勝るという化学変化が起きる。それゆえに大失敗が起こるように思う。しかし一度、大失敗したことは学ぶ。それゆえに後から考えたら理解できるが、その当時は想像ができないのだ。
こうしたらこうなる、だからやめておこうという想像性という部分の欠如があるのかもしれない。自己洗脳の状態に近いのかもしれない。
そのグレーゾーンのグラデーションが人それぞれ違って、倫理的な部分では一般の人と同じ感覚だが、実務的な部分では異なるといった具合がみられるような気がする。
アラフォーになり白髪が増えていく実年齢
年齢はただの数字というのは変わらないが、やはり肉体的な部分で歳を重ねてるんだなぁというのは実感する。
数年前は白髪なんてなかったのに、いきなり白髪が増えてきたり。
このまま1人でいいやとずっと思ってたが、それはすごい孤独なことなんじゃないか?と思うようになったり。それでも誰かと出会おうとすることにも抵抗があったり。
歳を重ねるごとに成長しているから、今まで思いもしなかったことを思えるようになるのかもしれない。
たらればはない現実
結局、ぼくは今、月に一度病院に通いつめている。
次に結婚できることがあったとしても、それはビジネス的なものかもしれない。
それなら、しなくてもいいやと思うが老後に1人で暮らすってできるのかな?と思ったり。
こんなことなら素直にパートナーにちゃんと相談したらよかったと何度も何度も思った。
こうなるだろう先の未来を予測できていたにもかかわらず、申し訳ない衝動性に加えてワンピースの2年後にまた会おうが現実に起こるのではないか?とリアルな期待を抱いて。
相反する2つの気持ちを抱いたまま、衝動的に行動をしてしまった。
たらればはなく、現実と向き合わなければいけない。ADHDの生きにくさは大失敗をして始めてリアルに学ぶことだと僕は感じている。
仕事は人生の一つの要素にすぎない
結局、1人になることですべての時間をこの数年は仕事のみに注いでいる。
その中で得たことがプログラミングで、何かしらの定型業務のようなものはプログラミングですべてなんとかすることができるようになった。
この半年はデータサイエンスのスクールにも通ってみた。でも転職が可能なレベルなのかはわからない。
今の仕事も好きでやってて不満はないが、親も歳を重ねていく中でもう少し近くにと考えた中で薬剤師はもうやりたくない。
プログラミングはエラーが頻発するのだが、それがぼくには合っていた。魚釣りをして根がかりしたとき、1日中根がかりしたルアーを取ろうとすることもぼくは苦ではなく、没頭できる時間だった。
その感覚に似ている。
しかし、どんなに仕事に熱心になれても1日がただただ過ぎていくだけで楽しくも幸せでもない。
仕事はやっぱり人生の一部分であり、メインではないんだなぁと思う。
また来年は何を思うのか。
毎年、毎年。この日が来るたびにあの日から自分はすべての時が止まってしまったように思う。
感謝の気持ちと喜びと後悔と。
毎年、同じ感情を抱きながらこの日を迎える。自分にとっての1年の区切りの日だ。
おれはもうねむい。