おれはもうおなかすいた(@ADHD、薬剤師)
コメダ珈琲のエビカツサンド、おいしいよ!
さて気付いたら、2月末…今月は一回しか更新してない!これでいいのか?
いやダメでしょ。
なかなかブログを書く時間を作るのって難しいけど、隙間時間でも書けるもんだなぁと、今回の記事を書いてて思ってるとこ。
隙間時間をうまく使えるようになりたい。
さて、あれですね。ストラテラ再開問題。
物忘れが多くて、ストラテラ再開したけど、その後どう?って話。
ストラテラを再開しても忘れ物は変わらない
まず、これ一番大事ね。
ストラテラを再開してみても、忘れ物に関しては今のところ変わらない。
忘れ物をしたことに気付けるようになった!は初めてストラテラ飲んだときに変わったこと。
これは変わらず続いてるんだけど、忘れ物はする。やっぱり、根本療法の薬ではないからADHDを治す薬じゃないよなーってのがわかる。
この辺は一般の人には難しいかもしれない。
わかりやすく言えば、抗生剤と痛み止めの違い。
抗生剤は菌を殺す、根本療法の薬。痛み止めは痛みの症状を抑えるにすぎない薬。痛みの根本を治すものじゃない。
ストラテラはこの例でいうと、後者。
だから、ストラテラ再開して忘れ物をすることは変わらないけど、ストラテラを初めて飲んだときに改善した、「忘れ物をしてる自分に気付ける」ってのはすごいことだなーって。
でもこれは再開する前から維持できてるから、ストラテラ飲み続ける必要ある?と感じてる。
ストラテラをやめても起床時の辛さは改善したまま維持
あとやっぱ今回、ストラテラをストップして怖かったのが、起床時の辛さがまた復活するんじゃないかってことだった。
でもストラテラをやめたときも、昔のような起床時の辛さはなかった。
そして、ストラテラを再開したときも、それ以上に目覚めがよくなることもなかった。
だから、目覚めの観点からも、ストラテラを再開したことで、より大きなベネフィットを得られているわけじゃないなーと感じてる。
ストラテラを飲むと少し落ち着きが出る…これはいいことか?
でもストラテラを再開して、少し落ち着きが出てるなというのは思う。
ストラテラをやめてたときは、ウロウロウロウロしてた。
ストラテラ飲むと、ウロウロがいくらかいい。でもこのウロウロはフットワークの軽さでもある。
だから、仕事内容によっては全くなくなっていいものでもない気がする。
自分が調剤や監査がメインなら、ウロウロはよろしくない。だからありがとうストラテラ!となるんだけど。
でも今は、薬局に所属してるものの、飛び回る営業に近い内容の仕事。
つまり、ウロウロが必要なこともある。
人によっては嬉しい作用だけど、人によっては嬉しくない作用ともいえるなと。
ストラテラを再開してみたけど、変わらない話を先生にしてみよう
トータルで考えると、ストラテラを再開して変わったことがあまりない。
もちろん、ストラテラを飲んだことがなかった頃と比べると全然違う。
今回のお話は2.5年ストラテラを毎日飲み続けて、いったんやめて、それで再開。その後どうでしょう?ってお話。
再開してから、特別変わったことがないんだよなぁ。
調剤とか監査を日常的にやってれば、また違うことを思うのかもだけど。
自分はこの辺をやらないから、ADHDの治療とどう向き合うかは、やっぱ仕事内容次第だなと強く思う。
この辺を含めて、先週先生に相談する予定だったんだけど……
インフルの臨時がたくさん出ちゃって、病院行けなくなっちゃったんだよね。
そういや、この病院行けなくなっちゃったときの対応も昔と違う。
ストラテラ飲みだした頃はすっぽかしてばかりだった。あ!忘れてた、あ!忘れてたって。
でも今はメモの効果もあって、思い出せてるよ。
来週また病院行って、相談してこよう。
おれはもうねむい。
そうそうそうそう!と、ついコメントを書かせて頂きました。
私が生きているうえで感じている(きた)ことが、こんなにも、まるで私が書いたかと思うぐらいに。
大変共感しました。
ADHDの特性・思考・行動等が書かれた本や記事は多くありますが、これほどまでにADHDである私の思考や気持ちがそのまま書かれたブログには初めて出会いました。
家族やパートナーといった周囲の人たちにADHD自体を説明したり、接し方に気を遣わせるよりも、
このブログを見せれば話が早いじゃないか!と。
障がいの特性がどうだとかを説明するよりも、どういう感覚で生きているのか、ここを理解してもらえた時が本当の理解であり、重要な部分であると思います。
私は海外に住んでいました。ADHDと海外は相性が良いと私も思います。海外だからと言って何もかもが自由!というわけではありませんが、やはり日本の典型的なシステムよりは恵まれた環境に居たと思います。教科書のない授業カリキュラム、店員も客も細かいことは気にしないGOOD!精神は私にとっても働きやすく楽しく、ADHDであっても生きることに特別な不自由はないと感じていました。
ところが日本に戻ってからのことです。私は生き辛く感じるようになってしまいました。海外にいたので余計に、ということもあるかと思いますが、
「みんなが普通にこなしている社会人ができない」
「どうしてこんなにも必要とは思えない細かいルールが多くあって、少しでも破るとあんなにも怒られるんだろう。GOOD!で済むことも多くあるんじゃないか」
「そもそも、みんななんて器用に生きているんだろう」
つまずきました。
「ダメだ、私は日本社会で生きていけない」
「でも…そんなことを言ってもADHDでも働いている人はたくさんいるし、私だって工夫をすれば適応できるはず」
周囲やルールに合わせることを努力しました。
それでもどこか浮いてしまう。コミュニケーションに関しては特に難しい。
薬剤師とADHDを結びつける書き方を否定される方のコメントを拝見しました。
確かにミスが許されない職業であり、不安に感じたりする方もおられると思います。
私がADHDを改善するために通っていた場所の医師から言われた言葉は忘れられません。
「夢の職業に就くのは無理ですよ。だって、チームワークが必要な職務でしょう?ミスしたらどうするの?ミスしたって大丈夫な事務とか、人付き合いの不要な清掃とか。そういうのをしたらどうですか。ADHDの方にはその職業は向いてないです。別の生き方を考えましょ」
私の夢の職業は医療関係でもなく、誰かの命を預かる仕事でもありません。ただ、ADHDは迷惑がかかるから普通に社会人をしようとするな、そう否定された気持ちになりました。
やりたくないことを無理にするのが苦痛、先生は分かっていてくれてると思ったのに。
薬剤師というミスが許されない仕事、他人の何倍も何倍も神経をすり減らして確認して確認して日々こなされてると思います。
自分は不注意が多いと分かっているからこそ誰よりも慎重にこなさなければなりません。私もミスが許されない時、もう十分だろうと周囲が思うほど、神経質な奴だと言うほどに確認をして自身の神経も相当すり減らします。
そんなにも慎重に仕事をされている方に対して、そこまでの不安を抱く必要がありますでしょうか。
私はむしろ人一倍慎重で安心できる薬剤師の1人であると思います。
chankoleaderさん
大変うれしいコメントをありがとうございます!また記事をじっくり読んでいただけ、とても嬉しいです。また、このブログがchankoleaderさんの想いを代弁できてるんだなというのも、非常に嬉しく思います。
海外に行くようになり、日本と違った空気感を味わうほどにADHDは海外の方が合ってるなというのは強く感じます。私は旅をしていてそう感じたので、chankoleaderさんのように住んでいたのなら尚更感じることと思います。
周囲やルールに合わせるよう努力しても、なんとなく浮いてしまうという感覚。これも非常によくわかります。皆にとっては息を吸うのと同じように無意識にできることが、意識しないとできない。それゆえに、合わせる努力をしても微妙に浮いてしまうのかなとも思います。私もそれで前職は失敗しました。
言葉は時に暴力になりますよね。私の主治医は、無理そうなことも無理とは言わず、改善するにはどうするか?考えてみようと後押しをしてくれていました。ADHDにとっての向き不向きは、そうでない人より非常に大きいと思います。でも向いてなくても無理ではないと思うので、chankoleaderさんの担当医の言葉は、あまり重く受け止めないで欲しいなと思います。夢がある、やりたいことがあるって素晴らしいことですよ!chankoleaderさんも改善するには?の視点で前向きに考えて欲しいと私は思います。
最後のお言葉、とても励みになります。自分にとって日々挑戦と工夫の毎日ですが、自分の長所をいかしつつ、楽しく仕事ができればと思います。
私自身のブログの運営理念が、chankoleaderさんが仰ってくれていることなので、コメントいただけとても感動しております。同じ境遇で悩んでいる方が少しでも前向きになれるように、これからも運営していきます。また遊びに来てください!