言葉にこだわりはある?おれがADHDの特性と思う言葉へのこだわり

おれはもうおなかすいた(@複業薬剤師


夏は夜。

 

枕草子の一節……とまぁ賢いフリをしましたが、おれはおんとし34歳。春はあけぼの止まりで、夏は夜は知りませんでした。



この言葉は、最近ハマってるローランドさまが教えてくれました。



それはさておき、言葉って不思議じゃないですか?この「夏は夜」も、「なつはよる」、「夏はヨル」、「夏。は夜」、「夏は、夜。」、「夏……は夜」などなど……



言葉の開き方や句読点の位置でニュアンスというか、雰囲気が全然違うと思いませんか?ぼくはこの「言葉」や「言葉がもつニュアンス」に対して異常なこだわりがあります。


これもADHDの特性の一つなのでは?というのが、今回の記事です。

 

特定の言葉に対するこだわりが強い

まずは言葉そのものに対するこだわりから。言葉というより、単語に対するこだわり。


先日、Twitterでこんなツイートをした。



ぼくは、「普通」という言葉、単語が嫌いだ。




普通という言葉を聞くと、何か強要されているような強さや圧を感じてしまう。「みんなと一緒であることが普通」、「普通はこうする」……など、普通という言葉を見たり聞いたりすると、自分は気持ち悪さを感じてしまう。




ぼくの普通の代替えワードは、「一般的」だ。意味、一緒じゃん!と思うかもしれない。でも、ぼくからしたら全くの別の言葉なのだ。




「一般的にはみんなと一緒にする」、「一般的にはこうする」……どうだろうか?



なんか、余白というか一般的にはこうだけど、あなたの場合は違うかな?と、余裕を感じられる気がする。




同じく苦手な言葉として、「常識」がある。常識のぼくにとっての代替ワードは、「世間的」だ。




「常識ではこうする」、「あなたはなんて非常識なんだ」。これらを置き換えて言葉の余白を読んでみると……




「世間的にはこうするけどあなたは?」、「世間的にはこうだけど、あなたは?」




どうだろうか。「普通」や「常識」を、「一般的」や「世間的」と置き換えることで、普通や常識では現れなかった、「あなたは?」という問いかけがうまれる。



一般的にはあまり気にされない単語の使い分けだけど、ぼくは徹底的にこだわってしまうところがある。

言葉や文字で表現できるニュアンスにこだわりと興味がある

夏は夜。の文字の開きや句読点や三点リーダを使ったニュアンスの違いを冒頭で話した。



ぼくは言葉や単語だけでなく、この言葉のニュアンスにもこだわりがある。


  • 「子供」と「子ども」
  • 「素敵」と「ステキ」



など。文字の開きはひらがなやカタカナ、漢字を組み合わせることで受け取るニュアンスが違って、伝えたいことによってこだわる。

  • 「今日から夏休みです」
  • 「今日から夏休み、です」
  • 「今日から……夏休みです」

 

  • 「あなたと一緒にいたい」
  • 「あなた、と一緒にいたい」
  • 「あなたと一緒にいたい……」




句読点や三点リーダの打ち方は、文法的な正しさはぼくとしてはどっちでもいい。そうではなく、打つ位置で変わるニュアンスにこだわりと興味がある。




表現ツールとしての句読点や三点リーダって、なんか美しい存在だな、と。




使う場所によって、文書の持つ意味を大きく変えてしまう、マジックツールのようなものだなと思う。



文字の開きと句読点や三点リーダの打ち方でいろいろな表現ができる。



この文で表現できるニュアンスに変態的な魅力といえば最も正確か……こだわりと興味を感じる。



●キッチリとした文
「僕は雨が嫌いだ。今年の夏は梅雨明けが遅くて憂鬱な気持ちになる時間が長かった」


●読みにくい文
「僕は、雨が、嫌いだ。今年の夏は、梅雨明けが、遅くて、憂鬱な気持ちになる時間が、長かった」



●子どもっぽい文
「ぼくはあめがきらいだ。ことしのなつはつゆあけがおそくてゆううつなきもちになるじかんがながかった」



●感情を伝える文
「ぼくは雨がキライだ。今年の夏は、梅雨あけが遅くて……憂うつな気持ちになる時間が長かった」





書き出したらキリがないけど、言葉や句読点などが持つ魅力にこだわりがすごくある。

言葉へのこだわりはADHDの特性ともいえるのかも

ぼくは文字の開きや、句読点を打つ位置で変わるニュアンスはすべての言葉に対して興味がある。



だから、まず言葉そのものに興味があるといえる。ここまでは個性な気がする。そして、こういうときはこうした方がいいかな?こっちの方がニュアンス伝わるんじゃないかな?と考えてると、すごく時間がたっている……いわゆる過集中。ここから先は、ADHD特有の特性な気がする。



一方で、言葉そのもの……単語に対するこだわりは、特定の単語のみだ。パッと思い浮かぶのは、「普通」と「常識」。



これはADHDの特性な気がする。ASDもこだわりが強いことが知られているし、ADHDとASDは交わる部分も多く、その境界の線引きは難しい。



それゆえ、診断はADHDしか受けてないけど、ADHDとASDの両方を持っている可能性だってあるだろう。



普通や常識を使う人に対して、正すよう求めてしまうことや「そんな気にしなくても……」と他人に言われることを異常に気にして追求してしまうところは、ADHDの特性の特徴に思う。



ぼくは言葉が好きだ。でも、言葉が好きだなんてことは、こうしてブログ書いたりライターの仕事をしたりするまでは具体的に感じもしなかった。



ADHDの特性はすべてにおいて自覚しているものではなく、潜在的に自分の中に眠っていて、ある日開花することもあるのかもしれない。



そんなことをふと考えた……夏の夜。



おれはもうねむい。

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