ADHDは結婚に向いてない?結婚して離婚したぼくが導きだした答え

おれはもうおなかすいた。更新が2年ぶりくらいになってしまった。この2年間(正確には3年)は、自分にとって大きな変化があった期間だ。



ぼくは2018年11月11日に結婚した。その1ヶ月後には、離婚の話をした。そして空白の期間を経て、2020年1月に離婚した。



ADHDは結婚に向かないと言われている。実際、ぼくも結婚をしたけど離婚してしまった。じゃあ自分の結婚、離婚の経験からADHDは結婚に向いていないか?と聞かれたら、向いていないとは思わない。


むしろ、ぼくが思う結論としては、ADHDこそ理解あるパートナーに甘えて結婚をした方がQOLの高い生活を送れると思う。


それなのに、なぜぼくが離婚したのか?


ぼくの離婚にはADHD特性の中でも衝動性が大きな要因となっていると思う。ぼくは自分で離婚を切り出し、それなのに離婚したことを後悔している。自業自得で大きな矛盾だ。


でも、もっと自分の幸せを大切にしていたら、パートナーが一生懸命に伝えてくれたことを素直に聞いていたら……ぼくは幸せな結婚生活を送れていたのではないかと思う。


離婚した今、ぼくが感じるのはパートナーが生活パートナーでなくなり、QOLがガクッと落ちてしまったことだ。仕事と家の往復で楽しみが何もなくなって、虚無感しかない。ぼくは今、365日ほぼ毎日仕事をしている。


休みは多くて月に4日。これはしたくて仕事をしているというよりも、そうしてすることを持っていないと自分を保てない気がするからだ。


仕事自体は楽しいけど、仕事が中心の生活というのは虚しい。パートナーと出会うまで、ネットサーフィンをして1日をつぶし定時ダッシュで帰宅していた頃のぼくからすると、今のぼくは考えられない。こんなに仕事熱心になれる姿を新卒のぼくは想像できなかった。


ぼくを人間的に成長させてくれたのも、ビジネスマンとして成長させてくれたのもパートナーだ。


結婚をしたくてしたのに離婚しようとした矛盾。自分でも正確には理解できない。ADHD特性だけでなく性格的な面もあるけど、今回ほど普通の人間でいたかったと思うことはない。


同じADHDの方が結婚して離婚するべきか悩んだとき、後悔しない選択をできるようにぼくの結婚と離婚の経験をシェアしたい。


ADHDは結婚に向かないと言われている

ADHD特性の飽き性と浮気性は別物だと思う


ぼくの話の前に前提条件を考えてみたい。そもそもADHD人間は結婚に向かないと言われる。でも、これは調べてみるとADHD特性の出方で『飽き性で浮気性だから』という理由がみられる。ぼくにはこの要素はないので、浮気性のADHD特性はよくわからない。

物事に対して飽きてしまうというのはよくわかる。実際、ぼくもとりあえずトライしてガーッと集中して取り組む。だけど、一定期間がすぎると、ピタッとやめてしまう。飽きてしまうというより、なんとなくわかった気になってもういいやと思ってしまうという方が正確かもしれない。


それゆえ、どんなことをしてもある程度はできるようになるのだと思う。


ライター、ブログ、サイト作成、WEBデザイン……いろんなことをやってみたが、ある程度はできるようになった。決して何かに突出するわけではないけど、何をやっても平均点以上は叩き出せる感じだ。過集中ゆえの一定期間の集中の仕方が人並外れているからかもしれない。


でも、ある程度できるようになると、もっとすごい人がいることを自分の中でスッと理解できる地点があり、もういいやとなってしまう。


でも、これは物事が対象だから言えることだ。一方で、人に対して飽きるってなんだろう?と思う。


人に対して飽きるって失礼じゃないか?と思う。相性はもちろんあると思うが、いいなと思った人を飽きるという感覚はぼくにはわからない。なので、飽き性で浮気をするという人は、そもそも浮気をしたい人で結婚なんて向いていないと思う。ADHDかどうかの話ではないのだ。

相手に迷惑をかけることは悪いことではない

ADHDは相手に迷惑をかけるから結婚には向かないという意見をみたことがある。これに対してのぼくの意見は、『No』だ。そもそも相手に迷惑をかけない結婚なんてない。人と人が共同生活をするわけだから、そもそも論で大なり小なりの迷惑を相手にかける。


ADHDゆえに特別迷惑をかけるわけではない。だけど、ADHD特性ゆえに迷惑をかけすぎる部分は確かにある。だからこそ、理解あるパートナーというのがポイントになるのだと思う。


衝動性、多動性、不注意……ADHDの方は特性としてどれが強くでるのか、その特性の内容も人それぞれ。特性が強く現れたときの自分がやっかいということは、自分もよく感じる。それゆえ、相手の理解は大切だと思う。



前提条件としてADHDがなぜ結婚に向かないかを考えてみたけど、ADHDが結婚に向かない理由を調べても明確な答えはない。ADHDに限らないことじゃんって内容ばかりだ。ネットの情報は参考にならなかった。結婚をして離婚したADHD当事者として言えることは、ADHDが結婚に向かないわけではないと思う。


ただ、自分の特性の出方の特徴を自分で把握していないと離婚につながってしまうんじゃないかと思う。


それができないから厄介なんだけど、こういうときに自分はこうなってしまうというある程度のパターンはあるように思う。自分の中で、特性の出方のパターンをある程度は認識できていたら、相手への迷惑も最小限ですむ。自己理解を深めてパートナーとシェアすることが大切なんじゃないかなぁと思う。


離婚の引き金は衝動性。ぼくは衝動性が把握できていなかった

ぼくの離婚原因はぼくの衝動性だ。『離婚するんだ!』と勝手に決め、持ち前の頑固さという性格の悪の相乗効果で突っ走ってしまった。ぼくの場合は、衝動性が出てくることが日常生活であまりなかったので、衝動性の部分はパートナーとシェアできていなかった。


今思うと、『離婚するんだ!』という衝動性の発現以前に、衝動性がこんにちはしたのは……


  • 浪人生のとき
  • 就活生のとき




何か大きな決断を迫られたときに出やすいように思う。この自己分析がぼくはできていなかった。ADHDの方は、自己分析をしてどんなときに特性が強く出るのかを自分で把握しておくとよいかもしれない。

離婚をしたいわけじゃないのに離婚をした理由

ぼくは離婚をしたかったわけではないのに切り出した


パートナーは、ぼくにとってベストパートナーだ。なぜそれなのに離婚をしたのか?正直、ぼくもよくわからない。本音をいえば、ぼくも離婚をしたかったわけじゃない。それなのに、なぜ。


離婚を切り出したのは自分だ。自分で離婚を切り出しておいて、自分は離婚をしたかったわけじゃないというのは、矛盾していて意味がわからない。


ぼくはよく相反することで悩むのだが、ぼくの離婚も相反する気持ちの葛藤だったのだと思う。Twitterでもつぶやいたことがあったと思うのが、相反する気持ちの葛藤の例でパッと出てくるのが『人が好きだけど、人が好きじゃない』という感覚のことだ。


言葉にしたら矛盾している事柄だけど、自分の中に感覚として共存する。自分って何?二面性があるの?と、自分の中に相反する二面性が共存する感覚がある。


離婚したいと思ったことは一度もなくて、『離婚したくないけど、しなくちゃいけない。離婚したくないけど、しなくちゃいけない。離婚したくないけど、しなくちゃいけない……』



このリピートだったように思う。Aという自分がBという自分にひたすら魔法を唱えているような感覚だ。


セックスレスが離婚の原因?恥ずかしい話こそ本音で向き合わないと歯車が狂う


離婚をしたかったわけじゃないのに離婚を切り出したキッカケとなった理由が、一つある。それは、パートナーの夢を叶えられないと思ってしまったからだ。パートナーの夢は、子育てをして家庭を持つことだった。


パートナーに唯一言えなかったことなのだが、前職で鬱のような症状になってから性欲がまったくなくなってしまった。さらにストラテラを飲んでからはEDのような症状も出た。


ストラテラの添付文書にもEDは1〜5%の発現率とある。一般的な薬の副作用を考えると、比較的に高めな副作用と言える。


さらに、ぼくとパートナーは兄妹のようにものすごく仲がよかった。何をしていても楽しかったし、嫌なことがあっても楽しかった(少なくともぼくはそう感じていた)。


相手の困りごとが自分ごとで考えられて、どんなときも無意識にそばにいる存在だった。


それゆえなのか、ぼくはパートナーをいい意味で女性としてはみられなくなっていた。付き合った期間が7年で、そのうち約5年間はセックスレスだった。


本当に仲の良い家族であり、妹やお姉ちゃんのような存在になっていくにあたり、性的な感情を抱くことが気持ち悪くなってしまったのだ。


誤解のないように言うが、だからといって愛がないわけではない。むしろ、愛しているとハッキリと言えた。ぼくはセックスレスであることに不満を感じていなかった。


精神状態と薬の副作用の関係もあったとは思うが、パートナーに親しみと愛情があるからゆえ、セックスしたいという気持ちがなくなったのだと思う。





このコラムにもあるように『セックスレス≠愛されていない』だとぼくも思う。パートナーには、女としての魅力がないと思わせ悲しませてしまったかもしれない。


でも女としての魅力がなくてセックスレスになったわけではなくて、恋愛感情が愛情ゆえにちゃんとした愛に形が変わったとぼくは思っていた。


ぼくのいけないところなのだが、内容的にあまり話したい内容ではなく、パートナーにちゃんと伝えることをぼくは避けてしまった。


本当に思っていることをちゃんと伝えられないと、歯車は狂ってしまう。必ずしも相手が同じ感覚ではないことは、ちゃんと理解しないといけないと思った。


ぼくは子供が好きだ。だから、パートナーとの子供が欲しいと思うことはあった。でも現実を考えると難しいと、勝手に思ってしまった。パートナーがカウンセリングに行ってみようと提案してくれたこともあった。


それに対して、ぼくは気恥ずかしさというか、なんともいえない感情を抱いてしまい、適当にあしらってしまったことがある。


ぼくにとって猛反すべき事柄だ。ちゃんと理解したい、ちゃんと理解して欲しいパートナーが心から勇気を出して言ってくれたであろう相談を、適当にしてしまった。ぼくはこの点もすごく申し訳なく思うし、ものすごく後悔している。



あとになって、パートナーとよりを戻そうと思ったときに勇気を出してカウンセリング行ってみようと伝えたが、もう遅かった。ぼくの気持ちとパートナーの受け止め方が噛み合わなかった。ぼくがパートナーの心を折ってしまったのだと思う。



当然、家族にも離婚の理由を聞かれる。我が家は性教育なんて皆無で、テレビでエッチなシーンが流れると恥ずかしくて、チャンネルを変えるか、その場にいずらくなっていなくなるかだった。



そんな家族に対して、何回も『自分が原因のセックスレス!パートナーの夢を叶えられないの!』と伝えた。



30数年で初めて家族に『セックス』という単語を使った。内容的にあまり話したい内容でなく避けたことを、結果としてパートナーだけでなく家族とも離婚した後に話すことになる。なんともお粗末な話だ。

相手の幸せを願い、自分の幸せを願えない不幸体質


ぼくは子供の頃から自分の幸せは後回しにするタイプだった。ぼくはセサミストリートが大好きだったのだが、幼稚園の年中さんのときに家族で東京セサミプレイスに行く機会を得た。


擦り切れるくらいビデオをみて、英語がわからないのに真似て人形遊びをして。東京セサミプレイスにいた子供の中でも、最もセサミ大好き人間である自負があっただろうぼく。


そんなぼくは、何人かの子供が一度に入れるスペースのボールプールで遊ぶ機会があったのだが、結果的に遊べなかった。


周りの知らない子供たちが、どんどんと中に入っていく。みんな楽しそうに遊んでいる。自分の番が来ても、後ろから友達同士で来た子供が早く入りたそうにしている。


ぼくは次々に、後ろの子達を中にいれてあげていた。本当は自分も遊びたかったけど、なんかみんなが入りたいなら行かせてあげなきゃいけないと思ったのだろうか。このシーンをよく覚えている。


これは一例だが、こういう自分の幸せを後回しにする癖が子どもの頃からついていた。


相手の幸せを願うってキレイな言葉だけど、そんなのは映画やドラマの世界の話だ。自分の幸せを大切にできない人が相手の幸せを願えるわけがないと今は思う。


自分の幸せを放っておいて、相手の幸せを願うと結果として無理が生じる。自己嫌悪に陥る。


自分の幸せがあって相手の幸せもある。自分の人生の主役は自分なのだから、自分の幸せをまず大事にしなければならない。結果として、それが相手の幸せになればベストだ。


もし自分の幸せが相手の幸せでないのなら、一方的に暴走するのでなく、ちゃんと相談して話し合ってから別の道を歩むという選択をするべきだった。


余談

パートナーの甥っ子と遊んでいて、自分の子供の頃にそっくりだと思ったことがある。公園に連れて行ったとき、滑り台で後ろからやってくるお友達をどんどん先に滑らせて、一向に自分は滑らないのだ。

これを見て、ぼくは自分の子どもの頃と重ね合わせた。パートナーの甥っ子はあまり人に心を開かないようなのだが、ぼくにはすごくフレンドリーに接してくれて、20歳くらい離れているのに同級生のようだった。そんな彼をみて、ぼくも彼を友達として同等に接していた。なんか、彼を見ていると自分と似ているような気がして放っておけなかった。

今でも誕生日にメッセージを送っているのだが、そのときに必ず他人に笑われても自分の思う正解を大切にすること、自分が思う『かっこいい』を大切にすることを伝えている。彼はとてもいい感性を持っているのに、周りと比べてしまいネガティブになることがあるからだ。



ぼくの場合は、自分の正義が強くですぎて失敗してしまったが、彼の場合は自分の正義をもっと大事にして欲しい。

衝動性のスイッチが入る瞬間がADHDにはある


パートナーの夢である『子どもをつくること』は難しいかも……ということは、結婚前から思っていた。それゆえに結婚を先延ばしにしてしまったところもある。


とても自分勝手だなと思う。パートナーにちゃんと相談もせず、自分が別れたくないがゆえに結婚を先延ばしにして。


いよいよ結婚となったら、後に引き返せなくなってパートナーを不幸にしてしまうかも……と、離婚だと衝動性を発揮する。はたからみたら、自分勝手な人間だと思う。


ぼくは衝動性のスイッチが入ると自制ができなくなる。そもそも、今は衝動性のスイッチが入ってます!というのが自分ではわからない。


後から振り返ってみて、そういえばあのときは衝動性のスイッチが入ってたなと学ぶのみだ。


でも、ADHDの方で衝動性の特性がある人は日頃から、このぼくの教訓を覚えておくといいのではないかと思う。衝動性のスイッチはある日突然に入っていて、衝動性のスイッチが入っているときは自分では気づけないということだ。


ぼくは、結婚前の顔合わせでもめたときに初めて自分とパートナーの感覚の違いを感じて悲しかった。なんでも一緒なわけないのだが、ぼくはパートナーとはなんでもツーカーでわかりあえると思っていたがゆえに悲しかったのだ。


内容はたいしたことでなく、顔合わせなんてしなくていいと言うぼくと必要だと言うパートナーだ。今思えば、顔合わせをするのは当たり前だし、別にしてもやましいことはないのだが。当時のぼくにはなぜか受け入れられなかった。


こういう人が当たり前に思う感覚を当たり前に捉えられずに、もどかしく思ってしまう特性もぼくにはあるなと思う。もともと、結婚をしたらパートナーを不幸にしてしまうのではないか?という気持ちが根底にあったのも相まって、ぼくの衝動性のスイッチが押されてしまったのだろう。


入籍をする日も、婚姻届を出す直前まで揉めたくないのに揉めた。本当はパートナーと結婚して、今までと変わらない幸せを感じていたかったのに、パートナーを不幸にするなというもう一人の自分が邪魔をする。


Aという自分がBという自分に呪文を唱える。結果として、結婚が嬉しくないかのような素振りをしてしまった。本当は嬉しかったのに。

アスペルガーの父が衝動性のスイッチを止めた


ぼくは、結婚したその年末に離婚をするんだと言い張る。そのとき、パートナーとぼくは別々に住んでいて、年明けにはパートナーの引っ越しが決まっていたにも関わらず。


パートナーの住む家がなくなってしまうことを考えることができなくて、本当にパートナーのことを大切に想えていたのか?と思うが、これも相反する感情なのだと思う。


今、引っ越して一緒になってしまったら、パートナーは引き返せなくなる。今、離婚するしかないとぼくは思った。




短絡的で本当にバカである。




そんな中、アスペルガー体質の父親がぼくが離婚だと言い張ることに対して、反対した。いつも後になって思うのだが、他人に対して無関心で、相談にもトンチンカンな返答しかできない父。


診断を受けていないだけで、どうみてもアスペルガーのそんな父が一番、家族の中でぼくのことを理解してくれているのではないかと思うことがよくある。




父は父で自分と似ているからわかる部分があるのかもしれない。ADHDの診断を受けたとき、家族に報告したら受け入れてもらえなかった。父は自分でもわかっていたから、受け入れたくなかったのかもしれない。


そんな父の援護もあり、離婚の話はいったん白紙となる。離婚ではなく、いわゆる距離をおくような状態になった。


パートナーの出会いを邪魔したらいけないから離婚したい


ぼくがパートナーの家がなくなるにもかかわらず、そのタイミングで離婚と言い張っていたのには、もう一つ理由がある。今、離婚したらパートナーは世界一周にいくと思っていたからだ。


世界一周にいけば新しい出会いがあると思った。


そこでいい人ともし出会えたら、パートナーの夢が叶うと思った。そんなことして欲しいと心から願っていないのに、そうした方がパートナーの幸せなんじゃないかと思った。


それを考えたら、ぼくと結婚している状態じゃない方がいいと思った。


もちろん、当時パートナーは離婚に反対してくれ、一緒にいることが幸せなんだと言ってくれた。ぼくは嬉しかった。ぼくも同じ気持ちだったからだ。


でも、そんなパートナーの言葉を素直に受け止めずに、衝動性のまま突っ走ってしまった。


そんなわけない、パートナーの夢は子供を作ることだ。パートナーの夢を叶えてあげなくてはいけない。ぼくはそう思った。


自分勝手だ。パートナーがぼくと一緒にいることが幸せだと言ってくれているのに、そんなわけないと突き放す。でも、心の底ではパートナーと一緒にいたい自分がいる。


離婚の話をするまでの間に一緒に過ごす期間もあったけど、ぼくと結婚したらパートナーが不幸になる、それが現実味を帯びてからはつまらないフリをするというバカげたこともしてしまった。


パートナーと一緒にいたい気持ちを出してはいけないと思って押し殺した。



そんな葛藤を抱えて、空白の1年を過ごすことになる。パートナーは世界一周の旅にでた。




ぼくがここまでパートナーの幸せを考えてしまうは、パートナーは自分を変えてくれた命の恩人のような人だったからだ。


  • 旅行嫌いのぼくが旅好きに生まれ変わるキッカケををくれた
  • つまらなかった自分の人生に彩りを与えてくれた
  • 働くことの楽しさを教えてくれた
  • 家族との関係性をつくってくれた




あげたらキリがないのだが、パートナーと出会うことでぼくの人生は180度変わったのだ。だからこそ、それがいいか悪いかは別として、パートナーの幸せや夢を叶えなければならないと強く思った。


空白の期間がぼくにも変化をもたらすが狂った歯車は元に戻らない


パートナーが世界一周に出て、夏頃に一時帰国した。そのときに会ったのだが、これが引き返す最後のタイミングだったのだと思う。ぼくはパートナーに会えて嬉しかったのだが、このときはそれを悟られないようにしようと思っていた。


だが実際は、海に行った日の夜。一緒に寝たときに抱きついてしまった。パートナーは気づいてなかったかもしれない。


別れたくないのに、別れようとしてしまった。離婚したくないのに、離婚を突きつけた。パートナーと一緒にいると幸せなのに、一緒にいては夢を叶えられないと思った。



自分がすべきことは、本心をちゃんと話すべきだった。自分はこういう風に思っているということを。『相手のためを想う』なんて、ドラマや映画の世界の話だと今では思う。


それを日常生活で繰り出して、不幸になったのがぼくだ。自分がどうしたいかを大切にした方がいいなって決心できたときには、もう歯車は狂っている。狂った歯車はもとには戻せないのだ。


パートナーは再び海外へ飛び立っていった。この再会で、ぼくは改めて思った。やっぱり一緒にいたいと。でもまた海外に飛び立とうとするパートナーを前にして口に出して伝えることができなかった。


空港に向かう車の中で、離婚どうする?と言われたときに、『離婚してみてまた一緒にいたいと思ったら一緒にいたらいいんじゃない?』と、本音とは裏腹な回答をした。



またしばらく会えない日々が続くのだが、この再会でぼくは離婚するんじゃなくてさらに約1年の猶予期間の中で成長してまた付き合おうと勝手に思っていた。


ワンピースの2年後にまた会おうを脳内で勝手に再生していた。


当然、口に出して伝えていないのだから伝わらない。パートナーが海外生活を終えて帰ってくるときに、離婚届を出してくれと言われてしまった。


旅をとおして、パートナーは結婚したいと思える人と出会ってしまっていたようだ。



こう書くとパートナーが悪いような感じがしてしまうが、そんなことはない。ぼくが自分勝手な暴走をしてしまったのだから、ぼくが悪いと思っている。



ぼくがパートナーと結婚をした理由

病めるときも健やかなるときも同じ方向を向ける人がベストパートナー

ぼくがパートナーと結婚した理由も書いておこう。パートナーと結婚した理由は、1つじゃない。さまざまな理由があるけどぼく自身の気持ちから大きく3つあげるとすると……


  • 初めて依存ではなく愛することができると言える人と出会えたこと
  • 人間的にお互いを高め合える人と出会えたこと
  • パートナーといると本当の自分でいられたこと




この3つがあげられる。特に嫌なことでも一緒に乗り越えられることができる相手というのは、なかなかいないように思う。


ぼくはかつて大きく人に依存してしまった経験を持ち、それが愛だと勘違いしていたことがあった。


でも人に依存してしまうのは、弱さであって愛ではない。愛とは強さなのだと思う。パートナーとは本当の意味でのいいパートナーシップを気付けていた。


依存するわけでも、無理をするわけでもなく、心からお互いを大切にできていた。



だから、もっと甘えて素直になればよかった。よく結婚式のときに、『病めるときも健やかなるときも……』という言葉を耳にするが、本質をすごく物語っているなと、パートナーと離婚の話をしたあとに友人の結婚式に参加して感じた。


ぼくにとってパートナーは人生のベストパートナーだ。それゆえにパートナーの夢を叶えられないかもしれないことが怖かった。結果は暴走して一方的に離婚に突っ走るという自分勝手なのだから、自分の幸せも大切にして自分が幸せになれる自分勝手さを発揮していればよかったと思う。


ADHDでも上手に結婚生活を送るコツ

相手を理解し理解してもらうこと


まず一番大切なことは、相手を理解し理解してもらうことだ。誰とでもできることではない。だからこそ、お互いを理解し合える信頼関係をつくれるパートナーと出会ったら、手放してはいけない。


過去を振り返っても、誰とでも築ける関係性ではないと思う。自分とその相手とだったから、築けた関係性なのだ。



上手な結婚生活を送る最大限のポイントといえることかもしれない。結婚は理想ではなく、現実なのだから。


特性を認識し素直に甘えること

僕に欠けていたのは素直に相手に甘えることと、特性の認識、自分の幸せを大切にすることだ。


甘えてもいい相手に甘えないというのは、よくない。良いパートナーシップとは、相手も自分もお互いに甘えて支え合い、お互い心遣いをもって接する関係性だと、ぼくは思う。


ぼくは、もともとの性格として素直さが足りない。もっと早い段階で素直になれたらよかった。


特性の認識もそうだ。不注意と落ち着きのなさが優位で、衝動性に関してはノーマークだった。スイッチがどのようなときに入って、スイッチが入ると自分はどうなってしまうのか?この衝動性の特性を認識しておくべきだった。


あなたは極端な行動に出るんだと昔からよく言われていた。この極端な行動こそが、衝動性そのものだったのかもしれない。自分の特性をちゃんと把握しておけば、たとえ特性が発動されようとも少しは対処できるような気がする。


ADHDだから相手を不幸にするわけではない。素直さがより大切

最後に、自分の幸せを大切にすること。ADHDは相手を不幸にするなんて考えてはいけない。相手が幸か不幸かは相手が決めることだ。


相手がそれでいいと言ってくれたことには、素直に耳を傾けるといいと学んだ。


ADHDは突発的な行動も多くて、自分でも自制できずに自己理解を深めることも難しいかもしれない。だからこそ、相手の意見に素直に耳を傾けることが大切だ。


ぼくは特性もそうだけど、素直さが足りなくて失敗してしまったと思う。


ADHDで悩む方こそ理解あるパートナーと結婚を


最後に記事を更新してから、この記事を書くのに2年かかった。記事を書くということは、結婚と離婚の経験と向き合わなくてはならない。


自分自身と向き合い見つめ合うのに随分と時間がかかってしまった。記事を書きながらも、やっぱり苦しいというかよくわからなくもなった。



母があなたは二度と育てたくない、と言っていた理由も自分が一番理解した。すごくすごく面倒くさくて自分勝手だ。


パートナーは今、結婚して子どもがいる。パートナーは夢を叶えたのだ。夢を叶えたこと自体は、とてもよかったと思っている。でも本当は、自分がその夢を叶えて一緒になりたかった。


パートナーが一緒に考えようと言ってくれた時点で、ちゃんと素直に耳を傾ければよかった。相手の幸せを考えるんだ、なんて意地を張らなければよかった。


ぼくがとった行動の選択は後悔ばかりだ。




ぼくにとってパートナーがいなくなることが、どれだけ自分の人生に影響を与えることか、自分が一番よくわかっていた。実際、人生に彩がなくなってしまった。早く死ねたらいいのにと思うこともよくある。


可能な限りの仕事を詰め込み、人生でやり残したダンスをすることカレーを作ることがぼくの今の楽しみだ。


お金に関しても、ありがたいことに相場以上の収入をもらうことができている。月4日休めたらいい方なので、時給換算したら当たり前なのかもしれないけど、過去最高額の給料だ。でも全くもって全くもって幸せじゃない。


お金では人は幸せになれないことも学んだ。ある意味で失うものが何もなく最強なのかもしれないけど。この先の人生、どう歩んでいけばいいのか今のぼくにはわからない。


パートナーのような人と出会うことができたら一番いいのだろうけど、今は難しいとしか思えない。ぼくにとっては、人生のベストパートナーだったからだ。ぼくはそんなパートナーにたくさん嫌な思いをさせてしまった。


たくさんのありがとうをもらった。今こそ、ぼくにできることはパートナーの幸せを願うことなのだろうけど。たくさんの後悔と、たくさんの感謝とたくさんの思い出と……もうグシャグシャだ。


病めるときも健やかなるときも、富めるときも貧しきときも。愛し、敬い慈しむことを誓える人。ぼくにとってパートナーはそんな人だったが、ぼくは性格とADHD特性ゆえに悲しませてしまった。


パートナーとは今でも時より連絡をとるのだが、これからはぼくとパートナーなりの関係性を築いていけたらいいなと思う。もう現実のパートナーではないけど、心のパートナーではあり続けるのだと思う。


ぼくとパートナーが築いた関係性は、ぼくとパートナーにしかわからない。


一般的な感覚を持たない二人だったから、波長があったのかもしれない。嫌な思いをしても嫌いにならなかったのかもしれない。


ぼくが嫌な思いをさせても嫌いにならないでくれたことは、ありがとうの気持ちでいっぱいだ。




ADHDは結婚できても離婚するを地で行ってしまったが、相手を嫌いになって離婚したわけではない。離婚したくて離婚したのではなく、素直な気持ちでは離婚したくないのに離婚を切り出し離婚した。


愛情が強かったがあまり、衝動性が発動して離婚に走ってしまった。


ADHDらしい結末なのかもしれないが、一般的にはあまりない離婚のケースではないだろうか。



自分の経験を振り返り、素直な気持ちに従って言語化してきたが、すべてを言語化して説明することはやっぱりできない。


そのときの気持ちや感情、抱いた想い、過去の経験や感情……あらゆる言語化が難しい『想い』の結果、今に繋がっているからだ。ぼくという人間の性格とADHD特有の特性の兼ね合いは思った以上に複雑だった。


ストラテラでどんなに日常の困りごとを解決できても、根本的な性格面との兼ね合いの部分は解決できなかった。


ADHDの方の本当の困りごとは、ADHD特性によるものだけでなく性格や自分が人生で積み重ねてきたコトとの悪い相乗効果で生まれる部分なのではないか、と今回ぼくは感じた。今回の結婚と離婚の件ほど普通の人に生まれたかったと思ったことはない。


ADHDのお友達は、ぼくのような経験を絶対にして欲しくない。自己理解を深めることで、ADHDでも必ず幸せな結婚ができると思う。ぼくはADHDで悩んでいる方こそ理解あるパートナーと結婚した方がいいと思っている。


ひねくれもの癖ものがADHDには多い気がするが、結婚に関しては素直な気持ちで自分の想いを大切にして欲しい。


おれはもうねむい。

2 COMMENTS

ラップ

初めまして。病院薬剤師です。
うちの職場にはADHD&ASD疑いの新人がいます。(正確には私たちがADHD&ASDだと勝手に疑っている新人です)
この記事を拝見してなんとなく腑に落ちたことがあります。
その新人の子は、とにかく報連相ができません。
できないというのは、報連相を忘れてしまったり、必要ないと決めつけてしまったり、言い出すタイミングが分からなかったり、です。
その子はよく「上司/先輩が忙しそうにしていたので後で言おうと思っていました」と言います。
報連相は早ければ早い方がいいということを、何度説明しても繰り返してしまいます。
“忙しそうにしているから報連相は後にした方がいいな”
と自分で思いやりの方法を決めつけ、誰も頼んでいないトンチンカンな気の使い方をするのです。
早く言ってくれれば楽に対応できたことを、後から言われて困ってしまったことが何回もあるにも関わらず。
筆者さんの離婚のお話や、プールに入れなかったお話を読んでなんとなくこういうことなのかな…と分かった気がしました。(本当は全然分かれていないのかもしれませんが)
接し方が分からず、ノイローゼになりそうなくらい悩んでいましたが理解していこうと思います。
ありがとうございました。

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おれは。

はじめまして。コメントありがとうございます。

ぼくは今、管理職のポジションでうまくやれていますが、その方の行動がなんとなくわかります。自分の場合は、必要ないと決めつけたり、上司→TM→UM→部長と報連相するところを、すっ飛ばして部長にしたり。

自分の中で無駄だと思うことを勝手に省くことや、思いやりの方法を決めつけるということもあると思います。ぼくの場合は、無駄なことが気持ち悪いと感じる部分が仕事では多かったです。

自分の中でのルールというものが、その方にもあるのかもしれません。組織の中で働く以上、組織のルールを理解する必要がありますが、ぼくも社会人になった頃はそれができず、チームにも理解されずに苦労した過去があります。

でもポジションが変わることで、自分の良さを出せるようになりました。今は、管理職として自分でルールを決めて共有し責任を負う立場ですが、自分の中でしっくりきています。

ラップさんのように理解しようとしてくれる方がいるのは、とてもありがたいことだと思います。その方がその厚意を感じて、自分なりに改善する努力をしてくれたらいいですね。

職場環境そのものによっても、気軽に相談できる空気感があるか否かというのも大切と思います。自分が思ういい空気感と相手が思ういい空気感は違ったりもするので、難しいなと日々ぼくも思っているところです。ADHDとは関係ないかもしれませんが、ADHDの人は空気感にも敏感だったりするので、過度に緊張感を強いられるような空気感だと本来の自分を出せないのかもしれません。

最も大切なのは、その方がその職場から何を学び自分にどう活かすかだとは思いますが。でも、ラップさんのような理解しようとしてくれる方がいると心強いと思います。

コメントありがとうございます。

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