ADHDの生きづらさの正体は人それぞれ違うけど生きづらさは武器になる

おれはもうおなかすいた(@複業薬剤師

生きづらいなぁ……って言葉が口から出ることってそうそうないと思うんですよ。それよりも、なんかモヤっとするなとか言葉にできない感情がふつふつと湧き上がることの方が多い。

ADHDは生きづらさを抱えているというのは、当事者としてもよくわかるけど、いろんなADHDの人と出会ったことで、同じADHDとして生きづらさの理解ができるものの、生きづらさの根底にあるもの生きづらさの正体は、人によって違うんじゃないかなって思うようになった。

ADHDに共通する生きづらさはミスに寛容でない日本社会が特徴でもある

まず、すべてのADHDにとって鬼門である単純ミス。

え?なんでこんなことやっちゃうの?ってやつね。これなんでミスしちゃうのかわかります?……ぼくはわかりません。

恐らくこの単純ミスに対して思うことは、ADHDの当事者なら皆共通で、「なんでかわかんないけど、ミスしちゃう」だと思う。

この単純ミスに対しては、従事している職業や業務によって、ある程度の対策を立てることはできる。でも!でも……それでも単純ミスは起こってしまうものだろう。

ぼくもそうだ。自分がしたミスを振り返ると、こういうときにミスが生じるという原因がわかることもあるけど、わからないことの方が多い。

確かに自分が悪いことは悪い。

でも今回は、自責の話ではなく視点をちょっと変えてみる。ミスを俯瞰してみたときに、日本人ってなんて寛容性がないんだろうって思うのだ。

ぼくは、旅が好きでたまに海外に出る。そして今もアルバイトとして、外人さんのお店でたまに仕事を手伝っている。そうやって、海外の人たちと関わるとミスに対する寛容さの違いをすごく感じる。

外人さんのお店で働いて感じるミスの寛容さ

今手伝っているお店は飲食店。仕事をしていて、オーダーを間違えたり、オーダー聞いてるときに違う音が気になって耳に全然残らず何回も聞いたり……これ日本人のお店だったら働けないやと思うことが多々ある。

でも、ぼくがしたミスに対して外国人スタッフたちは、「OK!OK!Take it easyだ」と言ってくれる。

ラッシーを間違えて作ってしまっても、オーダーを取り違えても。どんなミスをしても笑顔でそう言ってくれる。

ニュージーランドを旅したときに感じたミスの寛容さ

そういえばニュージーランドに行ってスーパーで穴あきの不良品を見つけたときも、「おまえよく見つけたな!グッド!!!」と笑顔で親指を立てながら言われた。

粉末スープの底に穴が空いていて、中から粉があふれている。日本だったら大クレームのレベルだ。

スリランカを旅したときに感じたミスの寛容さ

スリランカのアパレルショップではサイズが違うから、これのこのサイズってサイズを指定したら、デザインも色もまったく違う指定したサイズのものが出てきた。日本人の感覚からしたら、「ポカン……」だけど、サイズ指定したのこれがあったよ!ということだろう。

自分が見た世界というのは、ほんの一部だけど世界に出てみると、日本人の繊細さを良い意味でも悪い意味でも感じる。

ADHDにとって日本社会というのは、そもそもが生きにくい社会ともいえるのではないかなと思うのだ。だから、海外に行くことに抵抗がないというADHDの人は、いっそのこと海外で働くというのもイイ選択の一つだと思う。

人それぞれの特性による生きづらさは100人いたら100通り

ではADHDの特性による生きづらさはどうだろうか?

ADHDの特性は似たようなこともあるけれど、性格とコラボレートする部分もあり100人いたら100通りだ。それゆえに自分の生きづらさが、他人にも当てはまるとは限らない。

ぼくはアダルトチルドレン(AC)の要素もあるので、ADHDの特性にACの要素と性格が加わって特性を形成しているような気がする。

たとえば同じADHDの薬剤師さんと話していても、ぼくは絶対に日常的には白衣の下にネクタイをしたくないというこだわりがあるんだけど、彼はそこまでこだわりがないといったことがある。

就職のときも、スーツを着なくてよくて服装と髪型が自由にできるところというこだわりがあった。自分にとってのこだわりは、他のADHDの人にまるまるは当てはまらない。

ADHDの方々と話すと、個々が特性を持っているがゆえにこういった特性の生きづらさを理解してもらえるけど、世間一般には特性ゆえの生きづらさは理解されない。

ぼくの服装髪型のこだわりの特性は一例だけど、世間一般には甘えとされてしまう。でも服装髪型の例に問わず、世間一般の人が回れ右をするときに回れ左をしてしまうのがADHDなのだ。

世間一般に合わせることができれば、ADHDは苦労しない。そんな単純じゃないんだよね。この視点によるギャップにより、生きづらさが生じるのがADHDなのだと思う。

服装髪型はぼくの例だけど、世間に合わせるのがアタリマエという一般論をぼくはまず受け入れられない。変なのと思ってしまうし、ルールを定められることに異常な抵抗感がある。

今、働いているところもルールはあるけど、ぼくの場合はあいつはそれでよしという暗黙の了解が作られている。

とはいえ、簡単に暗黙の了解が作られたわけではない。とにかく突き抜けるという意識は大事だと思っていて、誰よりも動いて誰よりも結果を出すことは意識しているし、誰よりもチームに気を配る心遣いも意識している。

どんなことでもそうだけど、自分が欲しいものがあるなら、やはり自らアクションすることが大切なように思う。

組織で埋もれて生きづらさを感じている人は組織を離れてみる

ぼくは前職では、まるっきしパッとしなかった。

いわゆる新卒ニートのような状況で、一番仕事がノリにノルはずの時期に窓際族も味わった。

新卒クソ野郎からの脱却の話はこちらの記事を参照してもらえばと思う。恐らく、自分ほどの新卒クソ野郎はなかなかいないと思うので、今自分ってクソだなと思っている方はぜひ元気を出して欲しい。

作業と仕事の違いを理解し仕事に変えることでクソ野郎が輝きだした話

新卒クソ野郎だったぼくだけど、このクソさはぼく自身のせいでもあるものの、環境要因も大きい。組織に入り、部署に配属され、配属先の部署に1ミリもなじめなかった。

顔色を伺うこと、女社会での立ち回り、大人しそうな女こそ裏のボス……など、日常業務のスキルとは全く関係のない、独特なスキルばかりを取得した。

でもこれも発想の転換が大切で、約7年くらい地獄のような生活をしたことで、今後このレベルの苦痛を味わうことはまずないだろという自信がある。ちょっとくらい辛くても、あのときに比べたらなんのその!と思えるだろうと。

やっぱどんなことにも無駄な経験なんてないのだ。

とはいえ、慣れというのは不思議なもので、劣悪な環境であっても抜けられなくなる。洗脳ってこういうことなんだなと思うけど、劣悪が当然になると不思議と辛くても抜ける不安感の方が勝るのだ。

特に初めての転職となるとなおさらだろう。

でもやっぱり経験者として、声を大にして言いたいのは自分が馴染める場所、特性を発揮できる場所というのは必ずある。環境はガチャ要素が大きいけど、ガチャも回さなければ始まらない。違和感を感じたら、それはその組織を脱出するサインだと気づくことは大事だ。

ぼくは脱出のサインを見逃し、無気力な時代を生きてしまったこともある。今ならもう脱出のサインは見逃さない。特に新卒で転職することなく働いている人は注意が必要だと思う。

生きづらさはどこで生きるかで大きく変わり武器にもなる

あなたにとっての生きづらさの正体はなんだろうか?

ぼく自身は生きづらさの正体が2つある。

  1. ルールにしばられる
  2. 無駄の強要

ぼくは特性ゆえの自分の生きづらさは、大きく分けるとこの2つに集約されると思っている。ルールにしばられることに関しては、服装髪型の話題でも触れたように、ルールを決められることを極端に嫌う気がある。

無駄の強要に関しては、一般企業でよくみられることだろう。この仕事なんのためにやるの?を考えずに、慣習としてやっているとかなんとなくでやるとか。上司→ユニットマネージャー→部長の許可を得て、それぞれのハンコが必要とか。

でもこの生きづらさは場所によっては輝く。

  1. ルールにしばられるのが嫌→個性的な人になれる
  2. 無駄の強要が嫌→社内改革を行い業務効率化、売り上げアップ

生きづらさがプラスになった例1:個性の発揮で他人と違う色を出し選んでもらう

個性的な人になれることは、薬剤師にとって必要か?と言われたら今までの薬剤師には必要ないかもしれない。でも薬局が淘汰されていく未来、多くの薬剤師とは違う色を持つことは大事だと思う。

ぼくの場合は、在宅専門で選ばれる薬局を組織が目指している。そういうときに、施設スタッフから薬剤師っぽくなくてすごく相談しやすいと言ってもらえることや、あなただからお願いしたいと言ってもらえることは大きなアドバンテージになっている。

生きづらさがプラスになった例2:業務効率化を図り人件費削減と売り上げアップ

無駄の強要が嫌なことについては、前職では回れ右を皆がする中で、回れ左をすることを煙たがられた。みんなしてるんだからというわけのわからない理由で、意味のないことも強要された。

でも今の組織に移って、無駄をどんどんなくすことで業務効率化を少しずつ図れている。事務職の残業も20時21時が当たり前だったのが、18時19時に帰るのが当たり前になった。

業務が回らなくて、売り上げにつながる部分を疎かにしていたところも、無駄にメスを入れたことで50万円程度の月の売り上げアップができた。

そう考えると、ADHDゆえの特性があり組織で働けないのではなく、柔軟な組織では働けるが、古い慣習にこだわる組織では働けないといった方が正確だ。前職は古い慣習にこだわる組織だったため、自分は埋もれたんだと思う。

でも今の組織では、自分の生きづらさがプラスに転じている。ADHDにとって生きづらさを武器にできると、あとは愛嬌さえ意識できれば、はかいこうせんを使うピカチュウのような存在を目指せる。

組織で働いていて生きづらさを感じているADHDの方には、生きる場所で生きづらさが変わったぼくの事例を参考にしてもらいたい。

一歩踏み出す勇気はものすごく重い。だけど、一歩踏み出してみると全く違った世界が見えて人生が180度変わる。

おれはもうねむい。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。