おれはもうおなかすいた(@ADHD、薬剤師)
相変わらず帰宅が遅くて、やりたいことがなかなかできない毎日。直近の楽しみは9月の3連休だなー。
とりあえずそこまでは駆け抜けよう!
ちょっと前に焼き鳥屋さんですごい美味しいジンジャービアーを飲んだ。
なんだこれどこのだ?と調べてみたら「フェンティマンズ」というとこの品らしい。で、それ調べてみたらコーラの方が評判よかったんだよね。
だから買ってみたよ。
まぁなんだか懐かしい味だけど、個人的にはジンジャービアーの方がいいかなぁ。
さて、担当施設でお世話になってる管理者の娘さんが薬剤師になりたい!と言ってるらしい。ぼくが娘さんの年の頃は串揚げ屋さんになりたかったなぁということを思い出した。
単純に串揚げが大好きで毎日食べたいなぁと思っただけのこと。
そう考えると具体的に薬剤師!なんて出てくる娘さんすごいなぁ!と思って、どういう子育てしてるんだろ?ってちょっと気になった。
ADHDの当たり前は当たり前じゃない!薬剤師じゃなくてもいいじゃん
塾に通わせて無理矢理つめこむって感じのお父さんじゃなくて、夏休みの宿題を子供達と一緒にみんなでやる感じのお父さん。お母さんはそこに出てこない感じからして、この家はお父さんが勉強教えたりしてるんだなぁって、なんだか微笑ましかった。
学校行事も率先して行ってる感じで、いいパパなんだなと思ったり。
無理矢理に薬剤師にすることはできるだろう。でもこうやって自分の意思で薬剤師になりたい!なんて素直な気持ちで思う子っているんだなぁって思った。
でもお父さんと話しててちょっと違和感を感じたこともある。
それが薬剤師=薬剤師であれという感覚だ。
何を当たり前なこと言ってんだ?と思うかもしれない。でもここがADHDの人にとっては違うのかもしれない。
ぼくにとって、薬剤師は薬剤師じゃない。極端な話をすれば、薬剤師でダンサーでもいいし、薬剤師で料理人、薬剤師で大工でもいい。
でもお父さんにとっては、薬剤師は薬剤師。
病院・ドラッグストア・調剤薬局
これらのうちどこかで働きつめることを指していた。
ぼくはやっぱりどうもこの感覚に違和感を感じる。薬剤師というのは薬剤師の仕事ができるステージに立っているのだけれど、薬剤師でなければならないわけではない。
一つの仕事ではなく組み合わせて可能性と新しい価値を創造する
薬剤師になる過程で得てきたことや、薬剤師になってから経験したことを組み合わせていけば、人とは違う無限の可能性がが広がるじゃないか!と思うんだ。
みんななぜかAという仕事の中でレベル1→レベル100を目指そうとする。
でもぼくはAでレベル10、Bでレベル10、Cでレベル10……
組み合わせて、レベル1000の人間でありたいなと思う。少しずつ経験と実績を重ねていくと、違う仕事に移ったときにそこで活かせることが必ずある。
そしてそれは新しい価値を生む。
別にいろんな職業を経験しようとかそういう意味ではないんだよね。でも枠組みにとらわれないで、やってみたいことあればそれをやって、組み合わせていこうよということ。
ぼくは今、
自分という人間性×サラリーマン経験×ライター経験×薬剤師
これらを組み合わせて、自分だからこそできる在宅医療を提供することを意識している。
自分の薬剤師のレベルは3くらいだけど、他の部分でどう価値を生み出すかを考えることで、薬剤師のレベル50くらいの人に負けないオリジナリティーを出している。
自慢話になってしまうけど、施設から担当の指名が入るのは薬剤師レベル50のベテランではなく、薬剤師レベル3の自分。
組み合わせることで、可能性も広がる。
薬剤師という仕事にこだわりはない。資格にとらわれない生き方
だからといって、薬剤師であることにこだわりもなければ、薬剤師という枠組みの中で生きていこうとも思っていない。
今は在宅にハマっていて、在宅という分野で自分のオリジナリティーを出してどの程度勝負できるのか知りたいけれど、薬剤師でありたいとは思っていない。お陰で薬剤師らしさはまったくないw
薬局という器の中で在宅業務をする際に、薬剤師という資格がいる。自分の中の薬剤師というものはその程度。
まぁ調剤業務の方はテンでダメだから、薬剤師にこだわりはないというのも今はあるけど、ADHDだと知る前から自分は薬剤師であることにこだわりはなかった。
ADHDと知る前、薬剤師になる前からみんなそんなに薬剤師にこだわらないで、資格持ってるけど違うことすればいいじゃんと思っていた。
こういうこと言うと、せっかく取った資格なのにもったいない!と言う人もいる。でもぼくに言わせれば、その考えこそもったいない。
せっかく取った資格という考えは、視野やチャンスをものすごく狭める。人生という大きな枠組みで考えたときに、すごくもったいない生き方になってしまうと思うんだよね。
1×2×3×4=24
と彩り豊かな人生を送れるかもしれないのに、資格にとらわれるせいで、
1×1=1
と味気ない人生を送ってしまうことになるかもしれない。
もちろんいろんな生き方があっていいわけだから、枠組みの中で楽しめればいいんだ!って考えだってもちろんOKとは思うけど、自分はそうじゃないってこと。
型にハマらない、みんなが右に行っても左に行く。ADHDのこんなところは無限の可能性を創造できると思うんだ。
ADHDかはわからないけど、組み合わせで可能性が広がった例
ぼくがもともと勤めてた会社の研究職から、夫婦でパン屋になった人、天ぷらを研究して蕎麦屋を開いた人がいる。
パン屋になった夫婦は奥さんが研究職で旦那さんが工場の製造。社内で酵母の研究と製造に関わってるうちにパン好きが転じて二人でパン屋に修行に行こっか!ってなったみたい。
で、その辺のパン屋で修行じゃなくて、修行先が情熱大陸だったかプロフェッショナル仕事の流儀だったかに出てたパン屋でびっくりした。
天ぷらを研究して蕎麦屋を開いた人は、ぼくの上司だった人の上司。微生物の研究が天ぷらとそば粉になっただけと言ってたそう。
研究職で得た、データの取り方を活かして、そば粉や天ぷらを揚げる温度を研究してるって話を何回も聞かされた。
ちなみにこのお店は食べログの評価でも3.5以上となかなかレベルの高い店になっている。
この人たちがADHDかはわからないけど、ADHD気質ではあるんだろうね。彩りある人生で豊かでいいなとぼくは思う。でもぼくがいた部署の人や研究所の人たちの反応はぼくのそれとは違った。
ADHDの人は枠組みにとらわれないでも平気でしょ?これってものすごく創造性を秘めてると思うんだよね。一般的な感覚とは違う選択をできるわけだから。
ADHDで仕事がハマらなければ枠から外れたらイイ!
ADHDで仕事がハマらなくて辛い人は、組み合わせて何かできないか?考えてみたらいい。枠にハマらない創造性はADHDの強い武器。
辛い仕事を楽しい仕事にできると、生きることが楽しくなる。ADHDだからできないんじゃなくて、ADHDだからこそできることを探していこう!
ぼくの場合はこういうことをいつもパートナーが気づかせてくれるから、いいパートナーと巡り合うことも無限の可能性の創造にはとても大切。
おれはもうねむい。