秋の夜長にこんばんわ!わんばんこ!突然シャウトしたくなる日々が続きます!
さて、幼稚園生活を振り返るの第2弾。
ADHDと見て取れる歴史を振り返る旅をしている私です。今日も振り返ってみます。
最後の幼稚園生活の思い出
幼稚園生活最後の試みと言えば、アルバムの作成。アルバムの作成の中には自分のお名前を明記するという難題が出題される。
私は年長さんから小学校に上がるとき字が書けなかった。
無論、幼稚園のアルバムのお名前明記は母が達筆にて記入していた。
他の子は自分でなんとか書けている。しかし、私は字が書けない……
この頃の記憶は曖昧で不確かだが、2点のことはハッキリ覚えている。
-
- 幼稚園卒業時に字が書けなかった
- 字の練習をしても鏡文字ばかり書いていた
さすがに焦ったのでしょう。両親は私を公文式へと送り込みました。最初、字を書く練習をひたすらしたことを記憶しています。
そして字がいつまでたっても書けなかった。逆に天才なんじゃないかと今では思うくらい、鏡文字を書いていた。
『あ』とか『お』とか鏡文字で書けますか?私は今は書けません!
でも当時、この二つを特に鏡文字で書いていたのを覚えている。
そして、『さ』とか『ち』はいつまでたっても書けなかったし読めなかった。
私の実家の近くにスナックさふらんという店がある。出かける際は必ず通るのだが、いつもちふらん?と聞いていた……
私にとって公文式は軍隊訓練のようなもので、大変苦痛だった。とにかく字がいつ書けるようになったのかは覚えてないが、公文式の訓練により書けるようになったことは言うまでもない。
そして、両親が諦めず根気よく訓練を見てくれたのだと思う。あそこで諦めていたら、今の私はいない。
最終的に公文式で培った計算スキルも今では電卓に置き換わっているが、努力するということを学んだと思う。
だが小学校の私もADHDの特性か?と思うところは多々ある。
幼稚園編はこれでラスト!
次回から小学校を思い出す旅に出かけようと思う。