みなさんこんばんは!寒さが身にしみる今日この頃、いかがお過ごしでしょうか?
僕はお仕事でADHDが炸裂しています!
さて、今日は反抗期についてのお話です。
小学校での反抗期
ADHDの子供は手がかかると言われているそうだ。
僕が診断された時も先生はそう言っていた。両親にとって手がかかる存在ではなかったか?と。僕自身、反抗期は長かった自覚がある。小学校5年生から高校3年まで。
長い……
そしてくだらない……
小学生での反抗期から、高校を卒業するまでの間になんど母の泣く姿をみたことだろう。
小学生の時は……
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- なぜこんな名前をつけたのか
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- なぜこんな所にほくろがあるか
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- なぜシミが1つあるのか
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- なぜ痩せていないのか
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- なぜ背が高くないのか
こんな非常にくだらない内容で執拗なまでに責め立てていた……
未だになぜこんなくだらないことで不機嫌に暴言をふりまいていたのか、自分でも理解に苦しむ。
僕はいったいなにを求めていたのか、いったいなにを思ってそんなことを気にしていたのか……いずれも真剣に悩んでいたことではあったが、今となってはいずれも気にならない。
思春期特有のモヤモヤ感とはまたちがった反抗期が僕にはあったように思う。
それがADHDの特性なのか?
そして家ではわけのわからない反抗を見せながら、先生達に対しては、一般的な反抗期を見せていたように思う。家庭環境とADHDの関連は言われているようだ。前のブログにも書いたが、決して仲の悪い家庭ではなかったが幼い頃は特に両親のケンカは絶えなかった。
その頃の負のパンチが幼少期の僕の心をえぐってしまったのか?それが原因でADHDなのかはわからないが、何らかの形で僕の心に影響は与えていると思う。幼少期なのに家にいることが本当に嫌だったからである。
幼き少年はどこで解消してよいかわからぬモヤモヤをトイレの壁と、唸ることで解消していた。小学校6年生になる頃には、反抗という形でわけのわからぬことをふっかける形で解消していたのかもしれない。
それでは決して解消されることではないのだけれど。
なかなかADHDの特性なのかの判断は難しいが、僕は僕自身の心の中に人とは違う違和感を感じながら生きてきた。だから、ADHDと言われた時、なんだか妙に納得したところがある。この反抗期は特に特性を象徴しているのかもしれないなぁと真っ先に思い出した事柄である。