寒がりのみなさん、ごきげんよう!すっかり秋を通り越し、もはや一気に寒くなってまいりました。もうすぐ冬!です!
さて、小学校低学年の頃の家庭環境を振り返るというテーマで今回はお送りしたいと思います!
幼い頃はクワガタやカブトムシが好きだと言えば、秘密の山奥を人から聞き出し哀川翔先生もビックリのよく採れるスポットを探してくれる!など、大変子煩悩な両親の元、育ちました。
しかし、両親も人間。よくない面ももちろんあります。
なぜこんなにも幼い頃の印象が強烈に残っているのか自分でもわかりません。
幼い頃に幼いからこそ感じた恐怖と悲しみと怒りが心の灯火として残っているのでしょうか。救いなのは今は、両親を恨むこともなく、笑顔で受け入れ楽しめているということ。
幼い頃は、よくトイレに籠っては思い切り握り拳を握ったり、床を叩いたり、壁を叩いたりしていました。親なんかいらない!いなくなればいい!毎晩頭をぶん回しながらキィィィとなり、1人トイレでそう思っていたことも鮮明に覚えています。
ADHDが先天性のものでなく環境要因も考えられるならば、僕のルーツはここにあるかもしれません。
親なんかいらない!と激しく怒り狂った少年が生まれる背景にあるのは、両親のケンカと母のヒステリックでした。
両親の毎晩のように繰り広げられるケンカを見ることが本当に嫌だった。
寝ているところを起こされて今からおばあちゃん家に行くんだと言われたこと、父と母どちらか選べと言われたこ……挙げればきりがありません。
僕はなぜこの家に産まれたのだろう……最悪だ。。最悪だ。。両親のケンカを見るたびにそう思ってきました。
家庭環境は悪くなかったのでしょうが、幼い心に与える影響というものは、両親の影響が非常に大きいように思います。
愛情を感じる一方、憎しみを感じると愛情がゼロになってしまう。ヒステリックを回避するためにイイ子を演じてしまう。
親のケンカというどこの家庭でもありそうな出来事があまりにも頻繁かつ壮大なスケールだったため、幼心がついていけなかったのかもしれません。
ADHDが環境要因も考えられるなら!僕のルーツは両親の毎晩のようなケンカにある気がします。
トイレで発狂した日々、恐怖に支配されていた日々。親は覚えてないだろうと思っても子は忘れないものです。
子煩悩な面や愛情を感じていたこと、家庭としての成立はあったことその後、ぶつかり衝突することができたからこそ、今は感謝の気持ちが両親に対してあるのかもしれません。