もう年が明け2016年。
もうすぐ6年続けた仕事を辞めて一年が経つ。
一年の時間の経過は、小学生の頃の体感と今とではスピード感が全く違う。
あんなに一年が長く感じたのにこのところ、一年があっという間だ……
通院もこのところ1ヶ月に一回通う頻度になった。通院までの期間もあっという間に感じる。
ドクターに毎回、次の診察までの日記を渡すのだが、ドクターが見るまでに僕は彼女に見てもらっている。
この日あったことを書き、それに対してコメントをもらうのだ。
ただそれだけだが、このノートは自分がどのようなことでミスするのか、どのようなことでテンパるのか再認識できる。
彼女の協力あってこそのADHD生活が僕にとっては日常になっている。
身近な人に助けてもらえると非常に心強い。
もしパートナーがADHDなら、何か特別なことをしようとするのではなく寄り添ってあげて欲しい。
それが恐らく最も心強い治療法なのではないかと思う。
ドクターも彼女のノートの協力をいつも褒めてくれている。僕自身も毎日書くわけではないけれど、ノートの振り返りを付き添ってもらえてとても感謝しているし、支えになっている。
たかがノートであり、日記なのだが自分のミスに気付くこと、特性について認識することは大切だと思う。
なぜなら知らずして、自分がいつどうミスしたり特性を発揮するのかはわからないからだ。
手術をしたり、完治させたりといった治療法はないが、パートナーとともにADHDを受け入れて生活するのが最もよい生き方な気がする。
ADHDの治療はドクターがどうこうよりも最も身近にいるパートナーが最も大切だと僕は感じている。
いい病院を探してあげる、薬を調べてあげる……もちろん立派なことだがADHDのパートナーとしてできることはもっとたくさんあるはずだ。
自分はドクターではないからわからないのではなく、ドクターではないからこそできることがたくさんある。
相変わらず、余裕がなくテンパるのかウワァァァとなってしまう僕のことを理解しようとしてくれるパートナーに僕は感謝している。
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ただの自慢話になってしまいましたが(笑)
でもパートナーの行動でADHDの人はかなり救われると思います。